創業者の想い

創業に至るきっかけ

こんにちは、 ベテルを始めて50年になります。私がどういう経緯でベテルという会社を始めたのか、その途中、それから今後の夢みたいなことをお話しさせていただきます。

学校を出てから、テレビ東京(昔の東京 12チャンネル)という会社にいました。その後、結婚。しばらく勤めましたが、東京の空気は私に合わないなということで、今度はキヤノンカメラ株式会社というところに転職しました。

普通、大企業は基本的に中途採用をしないんですけれども、その頃は事業拡大につぐ拡大ということで、運よく技術屋さんを募集していたので、それに応募したら採用されました。勤めたのは、主に取手工場ですね。2,000人くらいいた工場の中の 新しい部門に配属されて、何をやったかというと、電卓の生産技術的なことをやっておりました。

それで 3~4年たった時に、私の心の中に「あれ、これでいいのかなー? 私の人生、これでいいのかな?」と思い始めて、その頃からその事が頭から離れなくなりました。「このまま人生が終わると、イチ技術屋さんとして終わっちゃうのかなー」という思いがあって、「これは大変だ!」と。

そんな経緯で、何の根拠もないんですが、私はキヤノンカメラ株式会社を辞めることにしました。

辞めることは奥さんにも内緒・・・というか、相談したんだけども大反対されまして、それでも無理矢理辞めました。
じゃあこれから何をやるかというのは、工場をやろうとは思っていたけれど、親父がやっていただとか、そういう基盤は何もないので、本当に何にもない所から始まりました。

ベテル創業者 鈴木 英一 会長
ベテル創業者 鈴木 英一 会長

創業当時の混迷

とりあえず食べていなくちゃいけないということで、最初に学習塾をやりました。小学生に、英語や数学を教えました。

その間に、それだけでは 食べていけないので、セメントと混ぜて作る外壁材を、多分あの頃は結構高かったと思いますけど、150万円ぐらいの特許料を払って作りました。それで、外壁材を作ったのはいいんだけど、売ることがなかなかできなくて難しい。売り歩いたんですけど、さっぱり売れなかった。まるまる大損をした。

で、その後に、茨城県土浦市の工業団地(神立工業団地)に、ジーンズをやってる会社が(電卓の)下請けを募集していたので、キヤノンでやっていたモノづくり技術がいけるかなと思って、そこの仕事をさせてもらいました。ジーンズを作っている会社が突然、儲かるっていうんでにわかに技術屋さんを集めて電卓を始めたので、それは、キヤノンの人間から見ると、非常にお粗末な品質管理の悪い状況でしたが、それでも食えるからやりました。
しかし、私としては、ちょっと理不尽な思いをさせられておりました。ちょっと生意気なことを言うので、担当者にいじめられたりしてね(笑)

まあ妻の方は、子供を二人抱えてこれは大変だということで、しょっちゅう 家で文句を言われて。。
でも、辞めてしまったらもう元に戻れませんから、何とか別なことを始めましょうということで、前に勤めていたキヤノンにも行きました。仕事もやらせてもらいました。その頃キヤノンは、事業拡大につぐ拡大だから「お前がやるのか?  だったらいいよ」と言って、当時の外注課長がすぐに採用してくれたんですね。

それで1年ぐらい経ったら、「ここの会社の社長は、どんな人でどんな経歴も持つんだ?」という事になりまして、「元々うち(キヤノン)にいた、生産技術の人ですよ」「ああ、その人はダメ。その人に、真似して同じ事をやられたら、せっかく育てた仕事がダメになるから」と、当面は採用されなかった。

その間に、たまたま茨城県石岡市の工業団地(柏原工業団地)にパナソニックの松下電工さんが来たので、松下電工に売り込みに行きました。売り込みには、3回か4回は行きましたね。それでも、全然相手にされなくて・・・
4回ぐらい行った時に、たまたま クリスチャンの課長さんがいて「じゃあ、ちょっと仕事やってみるかい」と言ってくれて、それがパナソニックの仕事をするきっかけでしたね。

それで足繫く通ってですね。でも工場ないんですよね、工場は何もない。そんな中で、当時私が手作りしたガレージがあったんです。車1台だけ入れるようなガレージがね。そこの床を上げて改造して工場にした、というのが、ベテルの最初の始まりですね。それに付け足して付け足して・・・本当に今考えるとボロ小屋ですね(笑) そういうところから始まりました。

「何で安定したサラリーマンを辞めたの? なぜやるの?」というと、私には漠とした夢があって、「とにかくサラリーマンだけでは物足りない」ということで、30歳で飛び出しました。
30歳で飛び出して、ちょうど今 50年経ったから、私もそれなりの年齢になったということですね。そんなこんなで始まった当時、私はクリスチャンなんですけど、当時は本当に名前だけのクリスチャンみたいな感じでした。

ただ、自分で仕事を始めて、 お金の計算・営業・仕事・運転手、全部ひとりでやりますから、それはもう大変ですよね。近所のご婦人たちを集めて、こうやってくれ、ああやってくれと指導員もやりました。

そんなことをしているうちに、パナソニックさんで認定工場にするという話がありました。一緒にやっていた『セイキョウ工機』という精工所の下請けをやっていたプレスの会社があるんですけど、その会社は、一番早く認定されたんですね。パナソニック本社が認定した茨城工場の1号が『セイキョウ工機』でした。それで、私も認定工場に入れて欲しいなと思っていたのですが、なかなか入れてもらえませんでした。

それから2~3年たって、始めてから4~5年経ってからですね。お前も認定工場に入れてやるよ、という話があって、そこに行きました。
それで、その途中に年末にパナソニック本社に行って挨拶しようというので、それまで修学旅行でしか行ったことのない大阪に、小学生4年生になった長女を連れて、2人でパナソニックの本社へ行ったんですね。
「よくいらっしゃいました、あれれ、娘を連れてきた社長がいる!」って驚かれました。それで珍しがられて、一生懸命だっていうのが伝わったせいか、いろいろ面倒を見てくれて、今日まで来たということですね。

その間には 紆余曲折がいっぱいありました。

とにかくそこについていくのだけで、10~15年は、目いっぱいでした。5年ぐらいして、小豆畑さんという方がベテルに来てくれてからは、品質管理とか工場の工程が非常に安定しました。彼(小豆畑さん)は、私にとって恩人の1人ですね。そんなのでずっとやってきましたね。

やっては失敗、やっては失敗の連続

ある程度仕事が安定してきたら、経営も何となく安定してくれるようになった。

でも、これは下請けの仕事で、自分で考えた仕事でも 何でもない。「それじゃいかん!」ということで、私は新しい仕事を、みんなと考えて色々やったんですね。

そしてやってみると、それっていうのは、もっと良いものが既に世の中にあったんですね。
今みたいにネット社会なんかないですから、当時は新聞ですね。あちこちの新聞を読むと、もっと良いものが色々ありました、というような事が何回もありました。

「やっては失敗、やっては失敗」の連続ですね。

もしある日突然、パナソニックさんの方針で「この仕事は来月~半年後で無くなるよ」と言われても、「我々は、こんなに借金がありますよ」と言ったところで「それはあなた方の自己責任でしょう」って言われてしまいますから。それは当然のことなんで、何とか新しい仕事を探そうと思って、一生懸命仕事を探してやってきた。

本当に、失敗に次ぐ失敗・・・ 本田宗一郎さんは、99%失敗したと言うけれど。失敗の連続で、騙されもしたし・・騙した事はないけれど、騙された事は多々あります(苦笑)

いちいち挙げると大変ですけど、大きな大きな失敗もありますね。世界的な大企業と一緒にやって、3億円ぐらいの借金をして、未だに尾を引いているというのもあります。それも契約という概念が、非常に甘かったということですね。

今までモットーとしてきたこと

私が今までモットーとしてきたことは、この宇宙とか世界というのは神が造ったんだ、そして唯一、私が私なりに 理工系の人間の頭として考えるのは、やっぱり 物を作るとか物ができる、人間ができるっていうのは、進化論とかそういうのもありますけれども、それはそれとして、やっぱり誰か創造者がいないとできないだろうと。聖書の中にそのことが書いてあるので、それを一生懸命読んだりしていました。

その時に私の座右の書として私が生きていく上で、何が 一番大事かというのを考えた時に、前から読んでいた言葉があるんです。

ヨシュア記1章6節~9節
ヨシュア記1章6節~9節

その言葉がこれなんですね。(画像_ヨシュア記1章6節~9節を参照)

私がお習字を家族と一緒に習っている時に、飯田先生という方に頼んで書いていただいたものです。ギリシャ語から英語にして、英語から日本語にした文語体の聖書ですね。


エリコの戦いと言ってエリコという町がありました。その町は非常に乱れていて、神を恐れる人は誰もいない。言いたい放題で、飲み屋街とか売春の世界。そういう所にヨシュアが行って、自分の国にしたいという時に、ヨシュアという預言者がスパイを送って調べたら、街は堅固でとても我々が攻められるような状態ではない。そう思ったんですけど、神の教えに従ってヨシュアは、そこを攻めることにしました。

どういう風に攻めたかというと、神様が言うには、7日間 あなた達は、ラッパを持った軍隊を、そのエリコという城壁の周りを 毎日1回回りなさい。それを6日間続けて、7日目は7回まわって最後に大きなラッパを吹きなさい。そうしたら、その城壁が崩れたといって、武器も使わずに勝った。


という話ですね。

この言葉が、私は大好きになりまして、部屋に飾っておいて、色々な駆け引きがある時、何か新しいことをやってぶつかって挫折した時、本当に誰にも相談できないような時に、この言葉を頼りにしてきた。

それから、詩篇という旧約聖書の中に、こういう言葉があるんですね。

『私の生きている限りは、必ず恵みと慈しみとが伴うでしょう』

この言葉を色紙に書いてもらったのをいただきました。それを拠り所にして今日までやってまいりました。

次世代に向けて

私は今、息子たち(社長、常務)が、私が思う以上にしっかりなってきたなと思っています。
私が出る幕はもう全くない、それは本当に嬉しいことです。二人が仲良くやってくれることが何よりです。

今ベテルはパートさんを入れて、180名以上の従業員が日本にいるということで、この責任は非常に重いということでございます。

それで、今は約20億の外売りがあって、工場を建てたりしています。
人がたくさんいて工場が大きくなるということは、非常に危険性があって、外から見るとすごいなと思われますけれども、内部的・経済的なものでは、非常にこれは無駄が出ます。
ですから、非常に脆くなりますね。そのことを肝に銘じて、神を畏れて、いつも反省をして何をすべきかいう事を考えてやってほしい。

売り上げ20億円の中の大体12億円ぐらいが、下請け的な仕事と私は見ていますね。
それはどういうことかというと、自分で値段をある程度交渉して値段がつけられる、それはある程度技術を持っていたり、あるいはオリジナル商品であったりするものは、比較的、価格交渉権がある。

対して、パナソニックさん(下請けの仕事)の方は、これでやりなさいというと、単価を下げること、コストダウンすることは賛成だけど、上げることはとんでもないというような風潮です。

またここへ来て、ウクライナ戦争とか、為替が 非常に安くなって賃金も上げなくちゃならない。
そういうことで国も応援したりして、何とか 皆さんにも(物価が上がるほどはいっていないようですけど)生きていてよかったなと思われるような経営をしていただければ有難いなと思います。

そしてやっぱり、中小企業でも光るモノ。
何かというと技術、それからノウハウですかね。そういうものを、絶えず、我々の体力に合ったものですね。それを、社長とか経営者は絶えず求める。

それは、日本国内とも同時に、もし私だったらイスラエルに行く。イスラエルは聖書が云ったように、ローマ帝国によってキリストを十字架にかけてしまったために、BC63年に 流浪の民になってしまうんですね。土地のない国の国民になってしまったんですね。

だけれども、聖書という自分たちのアイデンティティーがしっかりしていたので、いまだに 彼らは、ユダヤ人として自分たちの国を守っている。ユダヤ人というのは特別な民族なんですね。

世界を見る。イスラエルの故に、私は世界の人々を祝福すると言っているから、ユダヤ人のことを見ていると世界の情景がわかるんだと。聖書の預言にあるように、やがて、イスラエルがパレスチナに戻ってきて、そしてあそこで民族がなった時、また彼らが悔い改めてキリストを認めるときに、世の中が終わると書いてありますね。

そういう時代になってきましたので、あそこの国は四面楚歌ですね。自分の他の国は全部イスラエルを出まして、近くのイランですか。イランは、国の大目的・国の使命として、イスラエルを滅ぼすことを我々の目的としている。そう憲法に書いてあるんですね。そういう国が周りを取り囲んでいるので、ものすごいハイテクの技術があるんです。

ですから、軍事技術をやるというわけじゃないですけど、そういうところに、社長とかが行って、ベテルができる技術があるのかというのをイスラエルと一緒に勉強するとか、あるいはアメリカのシリコンバレーに行ってくるとか、ドイツに行ってくるとか、そういう事をして、ベテルにあった技術を何とかモノにして、世界を相手に商売していく。

そういうことを、私としては遺言じゃないけど希望していますね。そういうことで、技術屋さんを大事にして、パートの人も大事にしてやっていければ、息子達に譲って、何の悔いもありません。

大概、家の中で親父と息子というのは上手くいかないんですけど、うちの息子たちはみんな高校や中学を出た時から、家から離れていたので(離しても)話せば分かるなぁくらいだった。ダジャレみたいですけどね(笑)
離(話)したら、遠く離れている子供たちは、家族がどんなに大事かというのが分かって、今はネットですけど、昔はよく手紙を書いて送りましたね。時間をかけて電話をしましたね。

そういうことで、私たちが教会に行っていたこともあって、みんな教会に行って神様を崇めるということを続けていく。

神をおそれる、おそれるというのは、恐ろしいものを見て「恐れる」ではなくて「敬う」。畏れ敬うの「畏れる」ですね。(神を)畏れつつ、会社を経営していく謙遜さを持っていただければ幸いです。

以上、50年間 ここまで 健康を守れて、息子とも一緒にやってきた。
素晴らしい一人一人の従業員に恵まれて、その人たちを大事にしていただければ幸いです。

株式会社ベテル 創業者(現会長) 鈴木英一 

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